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ペルーのアンティクーチョ:インカ時代から続く街角のソウルフード、その歴史と製法

Tags: ペルー, ストリートフード, アンティクーチョ, 食文化, 歴史

ペルーの街角を歩くと、夕方になると漂ってくる香ばしい煙と食欲をそそる匂いがあります。その香りの元となっているのが、アンティクーチョです。アンティクーチョは、牛肉のハツを串に刺し、特製のタレに漬け込んで炭火で焼き上げたペルーを代表するストリートフードです。単なる串焼き料理に留まらず、ペルーの歴史や文化、人々の生活に深く根差した存在として愛されています。この記事では、アンティクーチョがどのように生まれ、ペルー社会に浸透していったのか、その背景にある物語と独特の製法に焦点を当ててご紹介いたします。

アンティクーチョの歴史:インカから植民地時代へ

アンティクーチョの起源は、インカ帝国時代にまで遡ると考えられています。当時、インカの人々はアルパカやリャマなどの肉を串に刺して焼いて食しており、これが「アンティクーチョ」(ケチュア語で「アンティ」は東方やアンデス山脈を、「クーチョ」は切るや串に刺すを意味するとされます)の原型とされています。しかし、現在のような牛肉のハツを使ったアンティクーチョが定着したのは、スペイン植民地時代以降のことです。

スペイン人がペルーを征服し、牛が持ち込まれるようになると、植民地支配者たちは牛の可食部位の中でも価値が高いとされる肉(ステーキなどに使われる部位)を消費し、内臓や比較的価値が低いとされる部位は、しばしば奴隷として連れてこられたアフリカ系の人々に与えられました。牛ハツもその一部でした。

アフリカ系の人々は、限られた食材を最大限に活用するための知恵と技術を持っていました。彼らは、そのままでは硬く、風味も独特な牛ハツを美味しく食べる方法を模索する中で、様々なスパイスやビネガー、唐辛子(アヒ)を使ったマリネ液に漬け込み、柔らかく風味豊かにしてから焼くという方法を生み出しました。特に、ペルー固有の唐辛子であるアヒ・パンカは、辛味だけでなくスモーキーな風味と赤褐色をもたらし、アンティクーチョに欠かせない要素となりました。

このように、アンティクーチョはインカ時代の食文化をルーツに持ちながらも、スペイン植民地時代の社会構造、特にアフリカ系の人々の創意工夫によって、現在の形へと発展を遂げた料理と言えます。それは、異なる文化が融合し、新たな食文化が創造された歴史の一端を示しています。

独特の製法:マリネ液と炭火の妙

アンティクーチョの美味しさの秘密は、選び抜かれた材料と、それに施される独特な製法にあります。

主要な材料は新鮮な牛ハツです。ハツは丁寧に掃除され、一口大に切られます。次に重要なのが、風味の核となるマリネ液です。このマリネ液は各家庭やベンダーによって秘伝のレシピが存在しますが、共通して使われる材料は、ペルー産の乾燥唐辛子であるアヒ・パンカを水で戻してすり潰したもの、ビネガー、ニンニク、クミン、オレガノ、塩などです。アヒ・パンカはアンティクーチョ独特の深い赤色とスモーキーな香りをもたらし、ビネガーはハツを柔らかくする効果と酸味による風味付けの役割を果たします。これらの材料が組み合わさることで、ハツの独特の風味を抑えつつ、奥深い味わいが生まれます。

一口大に切られたハツは、このマリネ液に数時間から一晩漬け込まれます。十分に味が染み込んだハツを竹串に数個ずつ刺し、いよいよ焼きの工程です。

焼きには通常、炭火が使われます。炭火でじっくりと焼くことで、外は香ばしくカリッと、中はジューシーに仕上がります。焼いている間にも、残りのマリネ液を刷毛で塗り重ねることで、さらに風味が豊かになり、表面に美しい照りが生まれます。焼き加減はベンダーの腕の見せ所であり、絶妙な火加減によってアンティクーチョの食感と味が左右されます。

付け合わせには、焼いたジャガイモやジャイアントコーン(チョクロ)が添えられるのが一般的です。また、追加のソースとして、アヒ・パンカをベースにした辛味のあるソースが提供されることもあります。

街角に立つ作り手たちの物語

アンティクーチョは「アンティクチェーラ」と呼ばれる主に女性の作り手によって、夕暮れ時から夜にかけて街角で売られている姿をよく目にします。彼女たちは、長年にわたりアンティクーチョを作り続けてきたベテランであることが多く、その技術とレシピは母から娘へと受け継がれることも珍しくありません。

アンティクチェーラにとって、アンティクーチョ作りは単なる生計を立てる手段であると同時に、家族の歴史や地域の食文化を守り伝える大切な営みです。彼女たちは早朝から市場で新鮮なハツを選び、一日かけてマリネ液を作り、串に刺し、そして夕方には街角に炭火のコンロを設置します。立ち上る煙と香ばしい匂いは、その場所がアンティクチェーラの屋台であることを示し、人々を引き寄せます。

屋台の周りには、仕事帰りの人々や家族連れが集まり、アンティクーチョを片手に談笑する光景が見られます。アンティクーチョの屋台は、単に食事を提供する場所ではなく、地域の人々が集まり、交流する場としての役割も果たしているのです。アンティクチェーラは、常連客の名前を覚えていたり、世間話をしたりと、地域社会の一員として暖かな繋がりを築いています。

地域社会における役割と多様性

アンティクーチョは、ペルーの人々にとって日常的なおやつであり、軽食であり、そして祭りの日や特別な集まりには欠かせないご馳走でもあります。特に、10月にリマで行われる「紫の主」の祭り(セニョール・デ・ロス・ミラグロス)の期間中は、街の至る所にアンティクーチョの屋台が現れ、祭りの雰囲気を一層盛り上げます。

地域による大きなバリエーションは少ないものの、使用するアヒの種類やマリネ液の配合、ハツ以外の部位(牛タンなど)を使用するなどの違いが見られることがあります。また、最近ではより洗練されたレストランで提供されることもありますが、やはりアンティクーチョの本質は、街角の炭火で焼かれる素朴で力強い味わいにあると言えるでしょう。

アンティクーチョは、ペルーの歴史、文化、そして人々の暮らしが凝縮されたストリートフードです。インカ時代から受け継がれる串焼きの伝統、植民地時代の社会が生んだ創意工夫、そして作り手たちの情熱と技術。それら全てが一つになったアンティクーチョは、ペルーを訪れる旅人にとって、その国の魂に触れることができる貴重な食体験となるはずです。